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"その日を摘め"
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2012年12月
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その日を摘め
(そのひをつめ、
ラテン語
:
Carpe diem
、
カルペ?ディエム
)は、
紀元前1世紀
の
古代ロ?マ
の詩人
ホラティウス
の詩に登場する語句。「
一日の花を摘め
」、「
一日を摘め
」などとも?される。また
英語
では「
seize the day
」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも?される。ホラティウスは「今日という日の花を摘め」というこの部分で、「今この瞬間を?しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。
「
Carpe
」は、「(花などを)摘む」を意味する「
carpo
」の
命令形
であり、「
Diem
」は「日」を意味する「
dies
」の
?格
で目的語となる。
ホラティウスの詩
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]
ホラティウスが愛や政治や友情、日常生活、哲?的疑問などを歌った104の詩歌が?められた『歌集』(Carmina)の、第1?第11歌にこの語句が現われる。「その日を摘め(
Carpe diem
)」はより長い句の一部分であり、句の全?は「
Carpe diem quam minimum credula postero
」、つまり「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」である。詩全?では、神?がどのような死を我?にいつ?えるかは知ることは出?ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未?に希望を求めるよりもその日その日を有?に使い?しむほうが賢明であること、が歌われている。この詩の意?は
エピクロス主義
にあり、通常考えられているような
快?主義
にあるわけではない。
一方、
?約聖書
および
新約聖書
には「われわれは食べて?もう、明日は死ぬのだから」といった語句も現われる。一般には?者とも、「人生は短く、時間はつかの間であるから、今ある機?をできるだけ?むことだ」、というような?存的な警告として使われている。
?連する語句
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]
聖書
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]
聖書では、「?みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」という語句が、
?約聖書
の『
イザヤ書
』
22章13節
および
新約聖書
の『
コリント人への第一の手紙
』15章32節に登場している。ただしどちらも否定的な文脈の中にある。前者は、信仰なき者の生活の描?である。後者では、もしキリストの
復活
がなければ死者の復活もなく、死者の復活もないのであれば人は死んでしまう前に欲に任せた生活をして?事におぼれるだろう、という?定を語っている。
?約聖書の『
コヘレトの言葉
』(『?道の書』)の9章にも同?の語句がある。人の生死は神のみが知り、人間は知ることができず、善人にも?人にも同じ一つのことが起こること。人間の生が?に?ち、後は死ぬだけ、ということが、太陽の下に起こる物事の中でも最?のものであること。死ぬと何もかもが消えうせてしまうので、短く空しい人生を生きている間に?苦し、そのかわりに?えられるパンを食べ酒を?み人生を?しみ、熱心に物事を行うべきであること、などが語られる。
ユダヤ?
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]
ミシュナ?
の時代の
ラビ
達の倫理的な?えを集めた「Pirkei Avot」(父祖の?訓)1章14節には、「もし今でなければ、いつ?」という語句が現われている。
ラテン語成句
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]
「
Collige, virgo, rosas
」(集めよ、乙女よ、バラの花を)という語句は、
アウソニウス
または
ウェルギリウス
に?せられている詩『
De rosis nascentibus
』(
Idyllium de rosis
とも)の最後に現われる
[1]
。これは若者に?し、手?れになる前に人生を?しむよう促す詩である。同?の?容は、
17世紀
のイギリスの
バロック
詩人
ロバ?ト?ヘリック
の『乙女らへ、時を大切にせよ』(『時を惜しめと、乙女たちに告ぐ』、
To the Virgins, to Make Much of Time
)に登場する有名な句、「摘めるうちにバラの?を摘みなさい」(
Gather Ye Rosebuds While Ye May
)にも、あるいは日本の大正時代の流行歌『
ゴンドラの唄
』の一節「命短し?せよ乙女」という詩句にも共通する。
?連するが異なった表現に、「
メメント?モリ
」(「死を想え」、
memento mori
)がある。「その日を摘め」も「メメント?モリ」も同じような意味合いで使われることもあるが、メメント?モリという?念にある2つの側面、すなわち「謙遜」と「悔い改め」は「その日を摘め」には見られないものである。2つの語句は相反する世界?を表しているともいえる。「その日を摘め」が後事を考えない、後悔のない人生を送ることを?めているとすれば、「メメント?モリ」は質素で謙遜した、柔和な存在であることを?めている。
詩に多く見られるテ?マである「ubi sunt」(彼らは今どこにいるのか? /彼らはどこに行ったのか?)は、人生のはかなさを訴え、死について熟考するものであるが、「その日を摘め」とは異なり、行動に出ることの?告ではない。
ヨ?ロッパの?生歌『
ガウデアムス?イジトゥル
』(
Gaudeamus igitur
, 「さあ喜ぼう」、あるいは『人生の短さについて』
De Brevitate Vitae
とも)は、いつかは誰もが死んでしまうこと、そして?生生活を?しむことについての歌である。
中世ラテン語
で書かれたこの詩の原型は
1287年
に遡り、ヨ?ロッパ各地で祝祭などの際に?生らにより歌われてきた。
ホラティウスは『街のねずみと田?のねずみ』と題する詩で、「その日を摘め」の句を自らパロディにしている。その詩の中には「その道をつかめ」(
carpe viam
)という語句が現われ、街に住む者と田?に住む者の人生に?する異なった態度を比較している。
バロックへの影響
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「その日を摘め」は「
メメント?モリ
」などと?び、
バロック
の精神の鍵となる言葉である。
三十年??
の過酷な??の中で、
17世紀
には「
ヴァニタス
」(空しい、全ては空しい)や「メメント?モリ」(死を想え)など、人生は?い一過性のものだとする?い感情が形成されていった。全ての活動の無益さを?く感じた人?は、これに?して、永遠について考えるよりもこの時この場所を有?に使うべきだとして快?を許容する感情へと傾いていった。バロック時代の芸術、例えば
バロック文?
、
バロック美術
、
バロック音?
、
バロック建築
などに見られる陽?さ、好色さ、遊?性、流動性などは、この中心となる感情に基づく。上述したイギリスの詩人
ロバ?ト?ヘリック
の『乙女らへ、時を大切にせよ』(
To the Virgins, to Make Much of Time
)には「その日を摘め」に共通した語句が歌われ、ドイツの詩人
マルティン?オ?ピッツ
の
1624年
の詩には、『その日を摘め』(
Carpe diem
)と題したものがある。
その他の影響
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1970年代半ばのフランスで
Carpe Diem
というロック?バンドが活動していた。ジャズやミニマル音?を導入した
プログレッシヴ?ロック
を演奏する作品(アルバム)2作 "En regardant passer le temps" と "Cueille le temps" を?表し、1970年代のフランスを代表的するバンドの1つとして?い支持を得ている。
その日を摘め(カルペ?ディエム)を題材とした作品
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映?
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そのほかは
カルペ?ディエム
を?照。
脚注
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?連項目
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ウィキメディア?コモンズには、
その日を摘め
に?連するカテゴリがあります。
外部リンク
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