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?信省 - Wikipedia

?信省

かつて日本に存在した郵便?通信を司る中央官?

?信省 (ていしんしょう、 ?字? 遞信省 英語 : Ministry of Communications [2] )は、かつて 日本 に存在した 郵便 通信 運輸 を管轄する 中央官? である。

日本の旗 日本 行政機?
?信省 ていしんしょう
遞信省
1912年(明治45年)頃の逓信省庁舎
1912年 明治 45年)頃の?信省??
役職
大臣 ?本武揚 (初代)
小?佐重喜 (最後)
組織
?部部局 電?局、郵務局、電務局、工務局、貯金局、?理局、簡易保?局、航空局、管船局、?台局、大臣官房( 昭和元年 時) [1]
?要
所在地 日本の旗 日本
東京府 東京市 京橋? 木挽町 →)
(東京府東京市 ?町? 大手町 →)
東京都 麻布? 飯倉町 (現? 港? 麻布台)
設置 1885年 - 1943年 1946年 - 1949年
前身 工部省
テンプレ?トを表示

?閣創設時から 第二次世界大? 中の行政機構改革で統合されるまで、交通?通信?電?を幅?く管轄していた。第二次世界大?後にも復活して 1946年 昭和 21年)から 1949年 (昭和24年)まで存在したが、この時期には通信及び航空保安のみを管轄した。現在の ?務省 ?土交通省航空局 日本郵政 (JP)、及び 日本電信電話 (NTT)は、 1946年 (昭和21年)から 1949年 (昭和24年)までの?信省の後身に相?する。

沿革 編集

工部省を廢し遞信省を置き工部大學校??を文??部省に鑛山及??工作事務を農商??務省に屬す。今般遞信省を置き驛遞電信燈臺管?の事務を管理せしむ

? 太政官達 第七十? (明治18年12月22日) [3]

本省所在地の?遷 編集

 
?信省飯倉??(?貯金局??)
郵政省本??などを?て、日本郵政グル?プ飯倉ビル( 2019年 解??み)
  • 第三期 - 麻布?飯倉町(港?麻布台)
    • 大手町の木造???が余りにも長く?いた後、 1943年 (昭和18年)秋に、?時貯金局が使用中の飯倉??(現? 日本郵政グル?プ 飯倉ビル)を通信院の本??として移?使用することとなった。この??は、 紀州?川 侯爵 家の邸宅跡地に建設され、 1931年 (昭和6年)から貯金局が使用していたものである。なお、この飯倉??の所在地を俗に"狸穴"と呼ぶことが多く、そのためこの場所の?町名も 狸穴町 であったものと混同されがちだが、狸穴町を?町名としていた?域は飯倉??とは道路を?んで反?側のロシア大使館周?である。
    • 飯倉町の??は通信院から?信院を?て?信省復活後も引?き使用され、二省分離後も郵政省と電?通信省とが共用していた。電?通信省は日本電信電話公社への移行後しばらくして赤坂葵町(現虎ノ門)に?移?したが、郵政省は 1969年 (昭和44年) 7月 の霞が?移?まで長らく飯倉に本省を置いた。

所管業務 編集

郵便 編集

1871年 (明治4年) 4月20日 の郵便創業時、郵便事業は宿?制度をつかさどる ??司 の所管であり、初代??頭は 濱口梧陵 (7代目濱口儀兵衛  ヤマサ?油 創業家?主 「 ?むらの火 」のモデル)であるが、近代郵便事業の展開は第2代??頭 前島密 (制度開始?時は???頭として英?視察中)の指導の下進められた。この??司は 民部省 ? 大?省 ? ?務省 ?農商務省と所?が?わる間に??寮???局と昇格。 1885年 (明治18年)に?信省が設立されるとその所?となった。

1887年 (明治20年)には「?」マ?クが制定された。これは?信省の頭文字「テ」をデザイン化したものであるとされる(詳細は 郵便記? の項を?照)。 1900年 (明治33年)にはそれまでの郵便規則?郵便?例?小包郵便法などが統合され(?)郵便法が制定された。 1920年 (大正9年)には 貯金 局と 簡易保? 局が設けられた。 1928年 (昭和3年)には簡易保?局が ラジオ?操 を制定した。その後郵便事業は通信院??信院?復活した?信省を?て、郵政省に受け?がれることになる。

電信?電話 編集

工部省の所管であった電信事業は?信省に受け?がれ、 1890年 (明治23年)には電話事業も管轄するようになった。以降電信と電話の所管は一貫して?信省(および通信院??信院)のものであったが、 1949年 (昭和24年)に省が解?(郵電分離)されると電?通信省へと移った。なお電?通信省は 1952年 (昭和27年)に 日本電信電話公社 に改組され、その監督は郵政省が行うこととなった。

海事 編集

民間船舶に?する事務は農商務省商務局管船課が行っていたが、 1882年 (明治15年)に管船局へと昇格した。 1885年 (明治18年)に?閣制度が創設されると?信省の管轄とされた。 1896年 (明治29年)には 海難審判 制度を定めた「 海員懲戒法 」が公布され、翌年には海員審判所が設立された。 大東??? 太平洋?? 第二次世界大? )開?直後の 1941年 (昭和16年) 12月19日 、海運の?家統制を目的に、海事に?する業務は海務院へと移された。

?信省標準船 編集

ワシントン海軍軍縮?約 ?退後の?際情勢?化の可能性を見?んで、 1936年 (昭和11年)から標準船制定の動きが起きた。 日華事? 中の 1939年 (昭和14年)4月に正式決定され、造船量の?大や?率化を目的に大小貨物船6形式が計?された。その後日本のパナマ運河?由ニュ?ヨ?ク航路の高速貨物船(いわゆるニュ?ヨ?クライナ?)に相?するL型が計?されるが、さらなる情勢?化により中止。艦隊?伴用大型タンカ?のTL型、蘭印向け中型タンカ?のTM型、?石運搬船のK型が追加された。また、D型とE型の中間に?たるH型も計?されたが、こちらは計?のみに終わった。後の ?時標準船 の制定により平時標準船とも呼ばれ、第1次?時標準船はこの型式をベ?スにして設計されている。

※以下、諸元は?トン??機??最大速力の順

A型(タ?ビン6,300トン?ディ?ゼル6,200トン?レシプロ6,400トン、タ?ビンorディ?ゼルorレシプロ、タ?ビン&ディ?ゼル15.5ノット?レシプロ15ノット)
6船倉式三島型貨物船。タ?ビン船は建造されなかったが、ディ?ゼル船が ?野造船所 (現? ジャパン マリンユナイテッド )で1隻、レシプロ船が 川南工業 香?島 造船所( 三菱重工 を?て現? 大島造船所 香?工場)で7隻建造された。
うちレシプロ船は非公式で、レシプロ船とディ?ゼル船とは、4番船倉用デリックポストの位置が異なる。
全て大東???で??した。5tデリック×12基を搭載、25tデリック×1基を搭載した。
B型(4,500トン、タ?ビンorレシプロ、14.5ノット)
5船倉式三島型貨物船で、 川崎造船所 (現? 川崎重工業 神?工場 )等で14隻が計?され、10隻が建造された。
主機は建造中止船を除くと、レシプロ船が3隻で、?りはタ?ビン船である。
うちレシプロ船1隻、タ?ビン船2隻は?急タンカ?に改?されている。9隻が大東???で??し、終?時?存したのは1隻のみである。
準同型として、 三菱重工業 (現? 三菱造船 神?造船所 にて第三伏見丸(?田合名、4,929トン) [注? 1] 、浦上丸(福洋汽船、4,317トン)が建造されている。
いずれも排?タ?ビン付レシプロ機?で、後者は機?を2基搭載。速力は前者が11.5ノット [9] 、後者は16.3ノットとなっている [10] 。?者共大東???で??した。
5tデリック×10基、20tデリック×1基を搭載。
C型(2,750トン、タ?ビンorタ?ビン付複二連成orレシプロ、13ノット)
4船倉式三島型貨物船で、名古屋造船(現? IHI 愛知工場)等で47隻が計?され、43隻(制定前から同一要目で建造された 新京丸型 を含めて50隻)建造された。
主機は建造中止船を除くと、タ?ビン付複二連成船が7隻、タ?ビン船が6隻で、?りはレシプロ船である。
うち、タ?ビン2隻、レシプロ1隻が?急タンカ?に改?された。大東???で全て??し、?後に2隻が浮揚再生された。
D型(三島型1,990トン?船尾機?型1,900トン、タ?ビンorレシプロ、三島型12ノット?船尾機?型13.5ノット)
4船倉式三島型貨物船と、2船倉式船尾機?型の2パタ?ンある。
三島型は 藤永田造船所 (現? 三井E&S造船 )等で15隻建造された。タ?ビン船が1隻で、?りはレシプロ船である。
大東???で12隻が??し、3隻が終?時?存していた。
船尾機?型は日本海船渠等で66隻が計?され、54隻’同一要目で建造された船を含むと65隻)建造された他、2隻が 第1次計?造船 KD型 として建造された。うち5隻が?急タンカ?に改?されている。
こちらは非公式で、日之出型貨物船の第二靑山丸(大興汽船、1,898?トン)の設計をそのまま踏襲しており、第二靑山丸型貨物船とも呼ばれる。主機は全てレシプロ機?である。
大東???で52隻が??し、2隻が終?時?存していた他、2隻が浮揚再生された。
E型(830トン、ディ?ゼル、10ノット)
2船倉式三島型貨物船で、佐野安船渠(現: サノヤスホ?ルディングス ? 新?島サノヤス造船 )等で12隻が建造された [11] 。9隻が太平洋??で??し、3隻が終?時?存していた。
F型(490トン、ディ?ゼル、10ノット)
1船倉式船尾集約型貨物船で、朝鮮重工業(現? 韓進重工業 )等で17隻が建造された。15隻が太平洋??で??したが、2隻が終?時?存していた他、?後に1隻が浮揚再生された。
K型(三島型5,400トン?長船尾?型5,950トン?船尾機?型5,800トン、三島型レシプロ?長船尾?型&船尾機?型タ?ビン、三島型&長船尾?型15ノット?船尾機?型15.5ノット)
4船倉式三島型貨物船と、4船倉式長船尾?型、5船倉式船尾機?型の3パタ?ンある。三島型は三菱重工業神?造船所で7隻、船尾機?型は東京石川島造船所(現?IHI)で2隻、長船尾?型は日本鋼管鶴見造船所等で8隻建造された。三島型と長船尾?型3隻ずつ、計6隻が?急タンカ?に改?された。大東???で全て??した。
TL型(10,000トン、タ?ビン、19.5ノット)
艦隊?伴用大型タンカ?。播磨造船所(現?IHI)で設計されたが、?時多?が就役していた 川崎型油槽船 を建造した方が良いと判?されたためか、商船としては起工されず、海軍給油艦仕?の 風早 速吸 の2隻のみが起工され、速吸は後に航空機搭載に計??更されたため、風早のみがオリジナルに近い形態で竣工した。
TM型(5,200トン、タ?ビン、16.5ノット)
蘭印 向け中型タンカ?。 日立造船 (ユニバ?サル造船を?て現?ジャパン マリンユナイテッド)等で7隻が建造された。大東???で全て??し、?後に1隻が浮揚再生された。

?道 編集

1872年 (明治5年)の新橋-?浜間?道開業の前年、 工部省 に?道寮が設けられた。その後?道局へと昇格したが、 1885年 (明治18年)に工部省が?止されると?閣の直?となった。 1890年 (明治23年)には?道?となり?務省の外局になったが、 1892年 (明治25年)には?信省の外局とされ、その翌年には?局化され?信省?道局となった。 1897年 (明治30年)に現業部門を外局として?立させ、?道作業局( 1907年 (明治40年)に帝??道?へと改組)としたため、?道局は監督行政のみを受け持つことになった。 1908年 (明治41年)に?道局と帝??道?を統合して?閣直?の ?道院 が設立され、?道事業は?信省の手を離れることとなった。

電? 編集

1909年 (明治42年) 7月24日 、それまで?信省通信局で所掌していた電?に?する事務を移管して?局たる電?局が設置された [12] 。それに加え、 1938年 (昭和13年)5月6日には外局(「?信大臣ノ管理ニ?」する機?)として電力管理準備局が設置され [13] 電力管理法 の施行に?たったが、 1939年 (昭和14年) 4月1日 、?局を統合した外局(「?信大臣ノ管理ニ?」する機?)として 電?? が設置された [14] 。しかし、行政簡素化のため 1942年 (昭和17年)11月1日電??は?止され、?信省?局の電?局が再設置されたものの [15] 、翌 1943年 (昭和18年)11月1日、運輸通信省と同時に設置された 軍需省 に電力局として移管された [16] 軍需省 は1945年(昭和20年)8月26日?止され、代わって 商工省 が再設置されたが、電力行政は引?き電力局として商工省が所管した [17]

なお、1935年(昭和10年)、電?用品取締規則(同年?信省令第30?)に基づき?象製品に付けるマ?クに逆三角形の中に?信省徽章「 ? 」を示したマ?クが使われ、1961年(昭和36年)公布の 電?用品取締法 にも?承された [18]

航空 編集

1923年 (大正12年) 陸軍省 外局 だった航空局が?信省の外局として移管され [19] 、翌年 ?局 となった [20] 。1927年(昭和2年)の航空法(大正10年法律第54?)の施行 [注? 2] と共に 郵便機 による定期航空輸送の構想を打出し、大阪( 木津川飛行場 )?東京( 羽田飛行場 )?福岡( 雁ノ?飛行場 )に飛行場を整備し、 ?際航空郵便 も東京~ 大連 周水子飛行場 大連?東州?信局 )、大阪~ 上海 を開設した [21] 1938年 (昭和13年)1月31日、航空局は再び?信省の外局となった [22] 。同年6月、 航空機?員養成所 を設置した。1943年(昭和18年)11月1日、運輸通信省設置とともに航空局は同省の?局となり、1945年(昭和20年)5月19日の運輸省への改?においても存置された。同年12月31日、運輸省航空局及び航空機?員養成所を?し [23] 、「航空に?する事項」を運輸省から?信院に移管して?信院電波局に航空保安部を設置した [24] [25] 1946年 (昭和21年)7月1日、?信省航空保安部を設置した [26] 。1949年(昭和24年)6月1日、?信省?止に伴い、電?通信省の外局として 航空保安? が設置された。

?代大臣 編集

  日本
?信大臣
Minister of Communications
 
郵便徽
??機? ?信省
任命 天皇
根?法令 大日本帝?憲法
創設 1885年 明治 18年)
12月22日
初代 ?本武揚
最後 小?佐重喜
?止 1949年 昭和 24年)
6月1日
?承 郵政大臣
  • 明治憲法の下では、?閣?理大臣が交代しても各大臣の地位に影響は無く、何らの任免?令もないまま引?き大臣の職に留まることも可能だった。
  • 兼任の場合の表記は次の通り?別した。
    • 「何?大臣による兼任」としたのは、他大臣が本官であり、?信大臣が兼官の場合。
    • 「何?大臣を兼任」としたのは、他大臣が兼官であり、?信大臣が本官の場合。
?信大臣(第1期)
1 ?本武揚   1885年12月22日 - 1889年3月22日
(1888年4月30日 - 1888年7月25日、農商務大臣を臨時兼任)
2 後藤象二?  
  • ?田?閣
  • 第1次山縣?閣
  • 第1次松方?閣
1889年3月22日 - 1892年8月8日
3 ?田?隆   第2次伊藤?閣 1892年8月8日 - 1895年3月17日
4 渡??武   1895年3月17日 - 1895年10月9日
(1895年8月27日 - 1895年10月9日、大?大臣を兼任)
5 白根專一  
  • 第2次伊藤?閣
  • 第2次松方?閣
1895年10月9日 - 1896年9月26日
6 野村靖   第2次松方?閣 1896年9月26日 - 1898年1月12日
7 末松謙澄   第3次伊藤?閣 1898年1月12日 - 1898年6月30日
8 林有造   第1次大??閣 1898年6月30日 - 1898年11月8日
9 芳川?正   第2次山縣?閣 1898年11月8日 - 1900年10月19日
10 星亨   第4次伊藤?閣 1900年10月19日 - 1900年12月21日
11 原敬   1900年12月22日 - 1901年6月2日
12 芳川?正   第1次桂?閣 1901年6月2日 - 1903年7月17日
13 曾?荒助   1903年7月17日 - 1903年9月22日
大?大臣による兼任
14 大浦兼武   1903年9月22日 - 1906年1月7日
15 山縣伊三?   第1次西園寺?閣 1906年1月7日 - 1908年1月14日
16 原敬   1908年1月14日 - 1908年3月25日
?務大臣による兼任
17 堀田正養   1908年3月25日 - 1908年7月14日
18 後藤新平   第2次桂?閣 1908年7月14日 - 1911年8月30日
19 林董   第2次西園寺?閣 1911年8月30日 - 1912年12月21日
(1911年8月30日 - 1911年10月16日、外務大臣を臨時兼任)
20 後藤新平   第3次桂?閣 1912年12月21日 - 1913年2月20日
21 元田肇   第1次山本?閣 1913年2月20日 - 1914年4月16日
22 武富時敏   第2次大??閣 1914年4月16日 - 1915年8月10日
23 箕浦勝人   1915年8月10日 - 1916年10月9日
24 田健治?   寺??閣 1916年10月9日 - 1918年9月29日
25 野田卯太?  
  • 原?閣
  • 高橋?閣
1918年9月29日 - 1922年6月12日
26 前田利定   加藤(友)?閣 1922年6月12日 - 1923年9月2日
27 犬養毅   第2次山本?閣 1923年9月2日 - 1924年1月7日
(1923年9月2日 - 1923年9月6日、文部大臣を兼任)
28 藤村義朗   ?浦?閣 1924年1月7日 - 1924年6月11日
29 犬養毅   加藤(高)?閣 1924年6月11日 - 1925年5月30日
30 安達謙?  
  • 加藤(高)?閣
  • 第1次若槻?閣
1925年5月30日 - 1927年4月20日
31 望月圭介   田中(義)?閣 1927年4月20日 - 1928年5月23日
32 久原房之助   1928年5月23日 - 1929年7月2日
33 小泉又次?  
  • 濱口?閣
  • 第2次若槻?閣
1929年7月2日 - 1931年12月13日
34 三土忠造   犬養?閣 1931年12月13日 - 1932年5月26日
35 南弘   齋藤?閣 1932年5月26日 - 1934年7月8日
36 床次竹二?   岡田?閣 1934年7月8日 - 1935年9月8日
37 岡田啓介   1935年9月9日 - 1935年9月12日
?閣?理大臣による兼任
38 望月圭介   1935年9月12日 - 1936年3月9日
39 ?母木桂吉   廣田?閣 1936年3月9日 - 1937年2月2日
40 山崎達之輔   林?閣 1937年2月2日 - 1937年2月10日
農林大臣による兼任
41 ?玉秀雄   1937年2月10日 - 1937年6月4日
42 永井柳太?   第1次近衛?閣 1937年6月4日 - 1939年1月5日
43 ?野季彦   平沼?閣 1939年1月5日 - 1939年4月7日
司法大臣による兼任
44 田?治通   1939年4月7日 - 1939年8月30日
45 永井柳太?   阿部?閣 1939年8月30日 - 1940年1月16日
(1939年8月30日 - 1939年11月29日、?道大臣を兼任)
46 勝正憲   米??閣 1940年1月16日 - 1940年7月22日
47 村田省?  
  • 第2次近衛?閣
  • 第3次近衛?閣
1940年7月22日 - 1941年10月18日
(1940年7月22日 - 1940年9月28日、?道大臣を兼任)
(1941年7月18日 - 1941年10月18日、?道大臣を兼任)
48 寺島健   東條?閣 1941年10月18日 - 1943年10月8日
(1941年10月18日 - 1941年12月2日、?道大臣を兼任)
49 八田嘉明   1943年10月8日 - 1943年11月1日
?道大臣による兼任
通信院?裁(運輸通信省)
小松茂   東條?閣 1943年11月1日 - 1944年4月11日
?原時三?  
  • 東條?閣
  • 小磯?閣
  • 鈴木(貫)?閣
1944年4月11日 - 1945年5月19日
?信院?裁(?閣)
?原時三?  
  • 鈴木(貫)?閣
  • 東久邇宮?閣
1945年5月19日 - 1945年8月30日
松前重義  
  • 東久邇宮?閣
  • 幣原?閣
1945年8月30日 - 1946年4月8日
(欠)
  • 幣原?閣
  • 第1次吉田?閣
1946年4月8日 - 1946年6月30日
新谷寅三? ?信院次長が?裁心得を務める
?信大臣(第2期)
50 一松定吉   第1次吉田?閣 1946年7月1日 - 1947年5月24日
片山哲   片山?閣 1947年5月24日 - 1947年6月1日
?閣?理大臣による臨時代理
51 三木武夫   1947年6月1日 - 1948年3月10日
52 ?吉榮二   芦田?閣 1948年3月10日 - 1948年10月15日
吉田茂   第2次吉田?閣 1948年10月15日 - 1948年10月19日
?閣?理大臣による臨時代理
53 降旗??   1948年10月19日 - 1949年2月16日
54 小?佐重喜   第3次吉田?閣 1949年2月16日 - 1949年6月1日

?代次官 編集

?信局 編集

郵便、小包郵便、郵便?替、郵便貯金、簡易生命保?、郵便年金、電信及び電話の管理に?する事務、?電水力調査に?する事務?びに電?事業及び船舶海員の監督に?する事務を掌る。

職員は、局長(7人。勅任)、書記官(?任12人。奏任)、事務官(?任37人。奏任)、技師(?任132人。奏任)、書記(?任2049人。判任)、技手(?任1657人。判任)、書記補(?任1203人。判任)。

各局所の定員の配?は?信大臣が定める。

各?信局の名?、位置及び管轄?域は下の通り。

  • 東京?信局、東京市、東京府?神奈川??埼玉??群馬??千葉??茨城???木???岡??山梨?
  • 名古屋?信局、名古屋市、愛知??三重??岐阜??長野??福井??石川??富山?
  • 大阪?信局、大阪市、大阪府?京都府?兵庫??奈良??滋賀??和歌山???島??高知?
  • ?島?信局、?島市、?島??鳥取??島根??岡山??山口??香川??愛媛?
  • 熊本?信局、熊本市、熊本??長崎??福岡??大分??佐賀??宮崎??鹿?島??沖??
  • 仙台?信局、仙台市、宮城??新潟??福島??岩手???森??山形??秋田?
  • 札幌?信局、札幌市、北海道

?考:大正十三年十一月二十五日勅令第二七二??信局官制、十四年勅令第一八五?、勅令第二八??、十五年勅令第一九一?、勅令第二七八?、昭和二年勅令第二五三?、三年勅令第二?六?、四年勅令第二二九?。

脚注 編集

注? 編集

  1. ^ 建造途中に?急タンカ?に改?された。
  2. ^ 昭和2年勅令第104?(航空法施行期日ノ件)により、同年6月1日施行された。

出典 編集

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  9. ^ 第三伏見丸
  10. ^ 浦上丸
  11. ^ Peacetime_E_Type_Standard_Cargo_Ship (英語)
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  14. ^ 電?廳官制(昭和14年勅令第153?)。
  15. ^ 行政簡素化實施ノ爲ニスル遞信省官制中改正ノ件(昭和17年勅令第754?)。
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  21. ^ 日本の空港整備はどのように始まったのか? ”. 軍事板常見問題&良レス回?機構 . 2009年12月12日時点の オリジナル よりア?カイブ。 2012年9月12日 ??。
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?考文? 編集

  • 岩重多四?『?時輸送船ビジュアルガイド2?日の丸船隊ギャラリ?』大日本??、2011年。 ISBN  978-4-499-23041-4  

?連項目 編集

外部リンク 編集