熊野の地名が最初に現れるのは『
日本書紀
』の神代記で、
神産み
の段の第五の一書に、
伊??尊
が死んだとき熊野の有馬村(
三重?
熊野市
有馬の
花窟神社
)というところに葬られたという記述がある。?家が編纂した?史書(『
正史
』)に
熊野
の名が登場するのは
日本三代??
からである。
古?、
修?道
の修行の地とされた。
延喜式神名帳
には、
熊野坐神社
(
熊野本宮大社
)と
熊野速玉大社
とあるが、
熊野那智大社
の記載が無いのは、那智は神社ではなく修行場と見なされていたからと考えられている。3社が興ってくると、3社のそれぞれの神が3社共通の祭神とされるようになり、また
神?習合
により、熊野本宮大社の主祭神の
家都御子神
(けつみこのかみ)または家都美御子神(けつみこのかみ)は
阿?陀如?
、新宮の熊野速玉大社の
熊野速玉男神
(くまのはやたまおのかみ)または速玉神(はやたまのかみ)は
?師如?
、熊野那智大社の
熊野牟須美神
(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)は
千手?音
とされた。熊野の3神は
熊野三所?現
と呼ばれ、主祭神以外も含めて
熊野十二所?現
ともいう。
平安時代
の中期(
長久
年間ごろ)に
?源
によって記された『
大日本?法華??記
』には?睿?義睿?明蓮?
道命
といった僧侶が熊野山中で
法華?
にまつわる不思議な??をしたことが記されており、古くから極?往生を望む僧侶にとって熊野は?場として理解されていた
[1]
。
平安時代
後期、
?土?
の阿?陀信仰が?まり、熊野の地は?土と見なされるようになった。熊野は?場であると同時に紀伊山地を?んだ
吉野
とともに皇室の祖先神話ゆかりの地でもあったことも?心が持たれた理由と考えられる。
藤原道長
?
師通
が行った吉野の
金峯山詣
も場所こそ違えど熊野詣での先?としてみなすことが出?る
[2]
。
上皇
の?詣の先例としては
宇多院
や
花山院
の例が知られるが、大規模な熊野詣の契機は永久4年(1116年)に
白河院
が行った2回目の熊野詣であった。白河院は?治2年(1088年)に
高野山
を行幸し、?治4年(1090年)には最初の熊野詣を、?治6年(1092年)には金峯山詣を行い、永久4年の熊野詣以降、恒例行事として定着した。高野山でも金峯山でもなく熊野が選ばれた最大の理由は熊野が?場であるとともに神域としても整備されており、
王?
守護に?する期待と共に?土信仰と
記紀神話
が融合された?時の
神?習合
の流れに合致した土地であったからと考えられている
[3]
。それ以降、
院政
期には?代の上皇の?詣が頻繁に行なわれ、
後白河院
の?詣は34回に及んだ。上皇の度重なる?詣に伴い、在地勢力として
熊野別?家
が形成され
[4]
、熊野街道の?展と共に街道沿いに
九十九王子
と呼ばれる熊野?現の御子神が祀られた。
鎌倉時代
に入ると、熊野本宮大社で
一遍
上人が阿?陀如?の化身であるとされた熊野?現から神託を得て、
時宗
を開いた。
熊野三山への??者は日本各地で修?者(
先達
)によって組織され、
檀那
あるいは
道者
として熊野三山に導かれ、三山各地で契約を結んだ
御師
に宿?を提供され、祈?を受けると共に山?を案?された。熊野と?土信仰の?がりが?くなると、
念?聖
や
比丘尼
のように民衆に熊野信仰を?める者もあらわれた。また?音の化身とされた牟須美神を祀る那智大社の那智浜からは?音が住むという
補陀落
を目指して、大勢の僧侶が小船で太平洋に旅立った
[5]
。次第に民衆も熊野に頻繁に?詣するようになり、俗に「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになった
[6]
。また、各社で?行される
熊野牛王符
(または牛王?印(ごおうほういん)とも)は
護符
のほか、
起請文
(誓約書)の料紙として使われ、この牛王符に書いた誓約を破ると
神罰
を受けると信じられた
[7]
。
ピ?クは過ぎたものの盛んであった熊野信仰も
江?時代
後期の
紀州藩
による
神?分離
政策で布?をしてきた聖や山伏、熊野比丘尼の活動を規制したため衰退し、明治の
神?分離
令により衰退が決定的となった。
熊野?現は日本全?に?請され、各地に熊野神社が建てられた。中でも
沖?
では、神社の殆どが熊野?現を祀っている。沖?における主な神社
琉球八社
とは、
波上宮
、
普天?宮
、
沖宮
、
識名宮
、
末吉宮
、
天久宮
、
金武宮
、
安里八幡宮
であるが、安里八幡宮以外は熊野?現を祀っている。
石垣島
の?現堂にも熊野?現が祀られている。
なお出雲の
熊野大社
(
島根?
松江市
)には、この熊野三山の元津宮であるとの古?がある。
- 篠原四? 『熊野大社』(?生社、初版 1969年、改訂新版 2001年)
著者(1898年- 1978年)は、初刊時の
熊野那智大社
宮司。「本宮?速玉?那智」三社の?承を中心に記述。
- 阪本敏行 『熊野三山と熊野別?』(?文堂、2005年)