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波上宮 - Wikipedia

波上宮

沖??那覇市の神社

波上宮 (なみのうえぐう)は、 沖?? 那覇市 にある 神社 近代社格制度 では 官幣小社 に列格され、現在では 神社本? 別表神社 に指定されている。

波上宮
本殿
所在地 沖?? 那覇市 若?一丁目25番11?
位置 北緯26度13分14.62秒 東?127度40分15.95秒 ? / ? 北緯26.2207278度 東?127.6710972度 ? / 26.2207278; 127.6710972 ? ( 波上宮 ) 座標 : 北緯26度13分14.62秒 東?127度40分15.95秒 ? / ? 北緯26.2207278度 東?127.6710972度 ? / 26.2207278; 127.6710972 ? ( 波上宮 )
主祭神 伊?冊尊
速玉男尊
事解男尊
社格 ? 官幣小社
別表神社
創建 不詳
本殿の ?式 流造
別名 なんみんさん?波上?現
札所等 琉球八社
例祭 5月17日
地?
波上宮の位置(那覇市内)
波上宮
波上宮
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波上宮の位置(日本内)
波上宮
波上宮

那覇港 を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」「ナンミン」として親しまれてきた。 琉球八社 の一つで、全?一の宮?より 琉球? 新一の宮 に認定されている。年間を通し多くの??客で賑わうが、季節?に行事があり、なかでも5月17日の例大祭に合わせて開かれる「なんみん祭」は、多?の催し物でとくに賑わう [1]

祭神

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『日本の神? -神社と聖地- 13 南西諸島』では、主祭神からも分かるように 熊野信仰 の系列に連なっており、また 琉球王? の??守であると述べている。現在も沖???守として信仰されている。

主祭神
相殿神

?宮創建の年代は不詳である。しかし『琉球宗?史の?究』 [2] では、琉球八社は ?言宗 寺院に?置され、その創建の由?を見ると多くは社寺同時に創建されたものと考えられることから、?宮は 察度王 の御代、 護?寺 が開山した時期(貞治7年、1368年)に創建されたのではないかと推測している。一方、島尻勝太?は、1384年に亡くなった?重法印が 護?寺 を開山したことが通?になっていて波上宮の創建がそれ以前とされていることについては、異?を唱えている [3] 。いずれにせよ創建は王?時代で、琉球八社は王府が管理していた官社であったが、?史書で創建年が明らかにされている神社は、長?宮(浮島神社)1451年、安里八幡宮1466年などで、15世紀頃には創建されていたとも考えられる [1]

『波上宮 略記』 [4] では、?か昔、人?が海の彼方の海神の?( ニライカナイ )の神?に豊?や平?を祈った聖地が?社の?座する波の上の崖端で、?所として日?の祈りを捧げたのに始まると述べている。?地での?に?して『海上の道』 [5] では、波の上の丘陵の高みにおいて、?年、日を定めてこの付近の居留者が各?の故?の方角に向けて香?を置き、自身の本?に向かって??する「ネグミ?み」と言う祭りが近代まで行われていたことを紹介している。

天啓 3年( 1623年 和? では 元和 9年)完成の『 おもろさうし 第十』には「?王?よ、今日の良き輝かしい日に 聞得大君 を敬って、?中の人?の心を集め?え、石鎚金槌を準備して石を積み上げ、波の上、端ぐすくを造り聖地へ?詣し給えば、神も?現も喜び給う。」 [6] と言う意味の“ おもろ ”がある。『おもろさうし 上』 [7] はこの中に詠われる「波の上、端ぐすく」が?宮?座地であると解?し、『日本の神? -神社と聖地- 13 南西諸島』では?宮創建を詠った“おもろ”ではないかと紹介している。

 
東側から見る波上宮と浮島神社(空撮)

『神と村』 [8] では、 グスク は古代祖先達の共同葬所(風葬所)であり、納骨洞穴が?所になった場所は「テラ」と?される場合があると述べたうえで、上記“おもろ” [6] に記された「なみのうへ は げらへて はなぐすく げらへて ものまいり しよわちへ てらまいり しよわちへ」の「てら」が、古代「鼻(はな)ぐすく」と呼ばれた?宮?座地にある「波上洞穴遺跡」を指しており、この地が祖先達の葬所を根源とする「神の居所」であることが?われると述べている。

慶長 10年( 1605年 )に倭僧? 袋中良定 が著した『 琉球神道記 ?第五』の「波上?現事」では?宮を琉球?第一大?現と述べ、さらに以下のような?宮の創設?承を記している。

南風原 崎山里主 という者が釣りをしていると、ある日浜?で「光り、ものを言う」?石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの?石を奪おうとした。そこで 崎山里主 が?地へ逃れると「吾は 熊野?現 也、この地に社を建て祀れ、然らば?家を?護すべし」との神託があった。 崎山里主 は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。

上記の?承は、琉球の固有信仰として古くからあった石?信仰と熊野信仰が結合したものであろうと『古代文?講座11 ?異記?氏文??起』 [9] では考察している。また、上記と同?の?承が 康熙 52年( 1713年 、和?では 正? 3年)に?王へ上?された琉球王府編纂の地誌『 琉球?由?記 ?11』にも記されている。

正平 23年( 1368年 )、 ?重法印 が?宮の 別?寺 として護?寺を建立、その後一時衰微し、 紀伊? 熊野から 補陀落渡海 の果てに琉球へ漂着した?言宗の僧侶 日秀上人 により 大永 2年( 1522年 )再興されたと俗?では語られる。再興にあたり日秀は熊野三所大?現の 本地? である 阿?陀如? ? ?師如? ? 千手?音 を刻して安置している。

王?時代には寺社座の管理下にあり、?王や役人が公式行事として??した記?が?り、琉球八社の中で最も格式のある神社であった [1]

?時の那覇は浮島で、1451年に長虹堤(ちょうていこう)と呼ばれる橋が建設され、那覇は沖?本島はつながり、それを機に大型の外?船が入港できる港が整備され、那覇にも多くの人が移り?展、薩摩の役人や中?からの渡?人など多くの外?人が住んだという。波の上は王?時代には「端城(はなぐすく)」とよばれて、那覇の突端であるとともに、神の居住地であることを意味したという。波上宮はもともと琉球古?の神に祈りを捧げる聖地??所であり、その周りに他?の信仰の場となる施設が建てられたとされる。 [1]

?永 10年( 1633年 )に社殿が?失したが、本地三尊像は護?寺に移されていて難を逃れた。?失した社殿は同12年( 1635年 )に再建されている。さらに 享和 3年( 1803年 )社殿が大破したため、それまでの本地三尊像を3殿に分けて安置する形式から1殿に安置する三?前として改築した。

 
波上宮と那覇で唯一の遊泳可能なビ?チである波の上ビ?チ

明治 に入り 近代社格制度 によって 官幣小社 へ列格され、明治23年( 1890年 )5月17日に御?座告祭式を行った。この御?座告祭式の日が、明治26年( 1893年 )から例大祭の日となっている。『琉球宗?史の?究』 [2] によれば、官幣小社へ列格される前年( 1889年 )に沖??が?幣中社の認定を申請していたが、皇室の祖神である伊?冊尊を祀っていたことを理由として格上げのうえ列格されたのだと言う。 昭和 10年( 1935年 )には御再興三百年祭を催行。さらに昭和13年( 1938年 )頃にかけて神苑を整備している。

 
かつて波上宮にあった 梵鐘 ?? 3年( 956年 )に 高麗 で?造されたもので、『 ?代?案 』の記?から 成化 3年( 1467年 )に 朝鮮 から琉球へ贈られたと推測される [10] 。明治40年( 1907年 )に 古社寺保存法 に基づく ?? (現行の 重要文化財 に相?)に指定されたが、沖??でほとんど破?された [10] 。?存した?頭は昭和60年( 1985年 )に沖??指定有形文化財に指定され [10] 、現在は 沖??立博物館?美術館 が所?する [11]

太平洋?? 末期の 昭和 20年( 1945年 )、?火が迫ったことから宮司がご神?を奉じて 摩文仁村 へ避難した。しかし境?は激しい 沖?? の中で鳥居を?し全てが灰燼に?してしまった。

沖??で?滅的な損害を被った?宮であったが、昭和23年( 1948年 )には 別表神社 へと指定された。昭和27年( 1952年 )宮司が復興に着手。翌28年( 1953年 )ハワイ 移民 の寄進により本殿と社務所を再建、本土へも呼びかけ昭和36年( 1961年 )には?殿が再建された。昭和47年( 1972年 )に 本土復? を迎えて沖?復?奉告祭が行われ、皇室より幣帛料を賜っている。昭和62年( 1987年 )?社務所?びに?集所を撤去し、新しい社務所が新築された。

平成 2年( 1990年 )御大典を記念して一の鳥居を改築した。さらに平成の御造?により本殿と?殿を再建、平成5年( 1993年 )に完成して正遷座祭が催行された。翌6年( 1994年 )5月に全整備事業の終了により竣功奉告祭が催されている。平成15年( 2003年 )には第二社務所を新築、平成18年( 2006年 )長年に亘り信仰の場?景勝地として親しまれてきたことを理由に、?宮敷地一?が「波上(なんみん)」として那覇市より史跡?名勝文化財へ指定された。

現在、宮?には 沖??神社? の事務所が置かれ、沖?における神道の活動?点の一つとなっている。

浮島神社

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??宮の浮島神社がある。

これは、 ?金福王 の代に、それまで島だった那覇と首里を結ぶ 「長虹堤」 の建設を始めるも幾度となく頓挫、 1451年 景泰 2年? ?? 3年)に 天照大神 を日本本土から招き、祈願したところ完成したため、 那覇 若?町に天照大神を祀った 長?宮 を創建した。これが後に浮島神社と呼ばれ、さらに 1988年 昭和 63年)に波上宮??宮に遷座されたものである。

長?宮は史書で確認できる琉球最初の神社建立である。

施設?遺構など

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祭事

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?月の祭祀

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主たる年間祭祀

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1月 1日   ?旦祭   9月   秋分の日   秋分祭
3日     元始祭 10月 17日     神嘗祭??日祭
2月 3日 節分祭 11月 3日 明治祭
11日 紀元祭 15日 七五三祭
17日     祈年祭 23日     新嘗祭
3月   春分の日   春分祭 12月 23日 天長祭
4月 29日     昭和祭 25日 御煤納
5月 17日     例大祭 31日     大??除夜祭
6月 30日     大?

アクセス

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波上宮
 
那覇港
 
那覇空港
波上宮 の位置(那覇市)
??前? より西へ1km。?前の パレットくもじ 前バス停から 那覇バス ?車、西武門バス停下車。
1番(首里牧志線)?2番(識名開南線)?3番(松川新都心線)?5番(識名牧志線)?15番(寒川線)?45番(?根線)で西武門(にしんじょう)バス停下車。(または バスマップ沖? を?照)
泉崎交差点から北西へ1km。

?考文?

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  • 鳥越憲三?『琉球宗?史の?究』角川書店、1965年。 doi : 10.11501/2980004 NCID  BA36611906  
  • 仲松?秀『 神と村?: 沖?の村落 』琉球大?沖?文化?究所、1975年。 doi : 10.11501/12169342 NDLJP : 12169342 https://www.shinsensha.com/books/1008/  
  • 谷川健一 編 『日本の神? -神社と聖地- 13 南西諸島』 白水社 1987年
  • 古橋信孝 三浦佑之 森朝男 編 『古代文?講座11 ?異記?氏文??起』 勉誠社 1995年
  • 外間守善 校注 『おもろさうし 上』 岩波文庫 2000年
  • 入江孝一? 『諸?一の宮』 移動?室出版事業部 2001年
  • 全?一の宮? 編 公式ガイドブック『全?一の宮めぐり』 全?一の宮? 2008年

脚注

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  1. ^ a b c d 【琉球八社】沖?の神社「波上宮」を?史的?点から巡る | 沖?の?光情報はFeel Okinawa ”. Feel JAPAN . 株式?社ジャンボツア?ズ. 2023年5月4日 ??。
  2. ^ a b 鳥越憲三? 1965
  3. ^ 島尻勝太?「 護?寺の創建と日秀上人 」『沖?大?紀要』第1?、沖?大??養部、1980年3月、1-15頁、 ISSN  0388-4198 CRID  1050853796597072640  }
  4. ^ ?社配布の リ?フレット
  5. ^ 柳田?男『 海上の道 』岩波書店〈岩波文庫〉、1978年。 ISBN  4003313860 https://library.affrc.go.jp/api/QQ20369661  
  6. ^ a b 『おもろさうし 第十』の17 「てやんおなちやらが節」
  7. ^ 外間守善 校注 『おもろさうし 上』 岩波文庫 2000年
  8. ^ 仲松?秀 『神と村』 ?統と現代社 1975年
  9. ^ 古橋信孝 三浦佑之 森朝男 編 『古代文?講座11 ?異記?氏文??起』 勉誠社 1995年
  10. ^ a b c 『みんなの文化財?鑑』有形文化財編 ?史資料02 ( PDF ) - 沖???育委員? 、2022年9月3日??。
  11. ^ ?波ノ上宮朝鮮鐘龍頭

?連項目

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外部リンク

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