平 貞能
(たいら の さだよし)は、
平安時代
末期の
武?
。
伊賀?
を本?とする平氏譜代の有力家人である。父は平氏の「一ノ?等」(『
愚管抄
』)である
平家貞
。
保元の?
?
平治の?
に??し、
平?盛
の
家令
を勤め(『
玉葉
』治承4年2月20日?)、?盛の「?一腹心の者」(『
吾妻鏡
』元?2年7月7日?)といわれた。
仁安
2年(
1167年
)5月、?盛が太政大臣を?任して嫡男の
平重盛
が平氏の家督を?ぐと、平氏の中核的な家人集?も?盛から重盛に引き?がれた。同じ有力家人の
伊藤忠?
が重盛の嫡男?
平維盛
の乳父であったのに?して、貞能は次男?
平資盛
の補佐役を任された。忠?は「坂東八カ?の侍の別?」として東?に平氏の勢力を扶植する役割を?ったが、貞能は筑前守?肥後守を?任するなど九州方面での活動が?著である。
治承
4年(
1180年
)10月、平氏の追討軍は
富士川の?い
で大敗し、??は全?に?大した。12月に資盛が大?軍として
近江攻防
に?向すると、貞能も侍大?として付き?った。畿?の反?はひとまず??されたが、翌
治承
5年(
1181年
)閏2月に?盛が死去した。後?者となったのは?盛の三男?
平宗盛
であり、重盛の小松家は一門の傍流に追いやられることになる。同じ頃、九州でも反?が激化しており肥後の豪族?
菊池隆直
らは
大宰府
を襲?した。4月10日、宗盛の?い推?で
原田種直
が大宰?少?に補され、4月14日には菊池隆直追討宣旨が下される(『吉記』同日?)。8月、貞能は反???のために一軍を率いて出?するが、早くも
備中?
で兵粮の欠乏に直面した(『玉葉』9月6日?)。追討は困難を極めたが、翌
養和
2年(
1182年
)4月にようやく菊池隆直を降伏させることに成功した。
?永
2年(
1183年
)6月、貞能は1,000余騎の軍勢を率いて?還するが、7月には
木曾義仲
軍の大攻勢という局面に遭遇する。貞能は資盛に付き?い軍勢を率いて宇治田原に向かったが、この出動は宗盛の命令ではなく
後白河法皇
の命令によるものだった。小松家が平氏一門でありながら、院の直?軍という側面も有していたことが窺える。宗盛は都落ちの方針を決定するが、貞能は?同せず都での決?を主張した。九州の情勢を?際に見ていた貞能は、西?での勢力回復が困難と認識していた可能性もある。25日の夕方、資盛?貞能は京に?り、
蓮華王院
に入った。一門はすでに都落ちした後で、後白河法皇の保護を求めようとしたが連絡が取れず、翌26日の朝には西海行きを余儀なくされる。『平家物語』一門都落の章段によれば、貞能は逃げ去った一門の有?を嘆き、源氏方に蹂?されぬように重盛の墓を掘り起こして遺骨を
高野山
へ送り、?りの土を
加茂川
へ流して京を退去したという。
平氏は8月中旬に九州に上陸するが、
豊後?
の
臼杵氏
、
肥後?
の
菊池氏
は形勢を?望して動かず、
宇佐神宮
との提携にも失敗するなど現地の情勢は?しいものだった。特に豊後?は院近臣?
難波?輔
の知行?であり、後白河法皇の命を受けた
?方惟?
が平氏追討の準備をして待ち構えていた。惟?が重盛の家人だったことから資盛?貞能が?得に赴くが、交?は失敗に終わる。平氏は10月に九州の地を追われるが、貞能は出家して九州に留まり平氏本隊から離?した(『玉葉』閏10月2日?)。また『玉葉』の?永3年(
1184年
)2月19日?に資盛と平貞能が豊後?の住人によって拘束された風聞が記されている。
平氏滅亡後の
元?
2年(
1185年
)6月、貞能は?者の
宇都宮朝綱
を?って鎌倉方に投降する。朝綱は自らが平氏の家人として在京していた際、貞能の配慮で東?に?ることができた恩義から
源?朝
に助命を嘆願した(『吾妻鏡』7月7日?)。この嘆願は認められ、貞能の身柄は朝綱に預けられた。北?東に
那須?原市
の妙雲寺、
芳賀郡
益子町
の安善寺、
東茨城郡
城里町
の
小松寺
、そして南東北でも
仙台市
の
西方寺(定義如?)
など貞能と重盛の?承をもつ寺院が多く?されているのは、貞能の由?によるものである。
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安善寺全容(?木?益子町大平202?岡鐵道七井?から約5 km)
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安善寺本堂と?明板(現在の本堂は京保15年(1730年)に再建)
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安善寺地?堂(平貞能公の遺骨を葬った上に建てられた?承あり)
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小松寺本堂??明板(茨城?東茨城郡城里町上入野3912)
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平重盛?筐印塔?夫人得律?尼墓石(最左の無縫塔は不明)
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甘露山妙雲寺大門(?木?那須?原市?原665)
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妙雲尼塔(平重盛妹妙雲?尼墓所)
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平重盛の墓(供養塔)山鹿市(熊本?山鹿市御宇田)
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平重盛の墓+?明文(山鹿市)(平氏が供養塔を建立と記述)
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西方寺の御廟貞能堂(宮城?仙台市)
- 川合康
『日本の中世の?史3 源平の??と公武政?』吉川弘文館、2009年。