『
フェリペ4世
』(フェリペよんせい、
西
:
Felipe IV anciano
、
英
:
Philip IV
) は、
バロック
期の
スペイン
の巨匠
ディエゴ?ベラスケス
が
キャンバス
上に
油彩
で描いたスペイン?王
フェリペ4世
の
肖像?
である。簡素な小品であるが、ベラスケスの代表的な肖像?に?えられる。この作品は?家が以前に描いた?王の肖像とは明らかに異なっている。それらの作品で?王は端正かつ優美に、そして、ときには『
フェリペ4世騎馬像
』(
プラド美術館
) などに見られるように勇?に描かれていたが、本作の?王の表情には苦?、悲しみ、諦念が反映されているからである
[1]
。本作はまた、?身で描かれたフェリペ4世の最後の肖像?で、以降フェリペ4世は集?肖像?の『
ラス?メニ?ナス
』(プラド美術館) で鏡像として描かれるのみである
[2]
。作品は
マドリ?ド
のプラド美術館に所?されている
[3]
[5]
。
ディエゴ?ベラスケス (工房の??の可能性あり)『フェリペ4世』、
ナショナル?ギャラリ? (ロンドン)
本作の制作時期は一般に1653年とされる。その年に王が修道女ルイサ?マグダレ?ナ?デ?ヘススに宛てた手紙には、「この9年間というもの、(ベラスケスに) 1点の肖像?も描かせておりませんし、ベラスケスの粘着質 (?筆) を我慢する?になりません。そのようにしてわたしは自らの老いを見ないでいるのです」と書かれているからである
[1]
。?際、この年、王は48?であったが、本作に描かれている姿はそれよりもずっと老けて見える
[5]
。
この肖像?が描かれたのはフェリペ4世にとって非常に辛い時期で
[1]
、最初の妻
イサベル?デ?ボルボン
をなくし、後?者となる
王太子
バルタサ?ル?カルロス
も失った
[5]
。さらに?際政治におけるスペインの影響力が失墜し、スペインが衰退していくのを止めることができなかった。王は史上有?の??コレクタ?として名高いが、??の?集に?頭したのは人生からの逃避であった。同時代の?史家ヘロニモ?デ?バリオヌエボ (Jeronimo de Barrionuevo) は、1656年の手紙で次のように記している。
「陛下は大?憂いを?びた?かな?子で
エル?エスコリアル
からお?りになられた、(…) 王はパンテオン (エル?エスコリアル) に2時間、膝にクッションを?てられずに?き、ご自身が埋葬されるニッチにもたれかかり、そこからお出になったときは?で充血し腫れた目をしておられた」
[1]
。
17世紀の肖像?には、描かれる人物の社?的、職業的な地位というメッセ?ジが含まれるのが通例であった。人物は衣?、?石、象?物、建築空間などの要素とともに描かれ、その社?的立場が?調され、格付けされていたのである
[1]
。同年代にベラスケスが描いたもう1点の『フェリペ4世』(
ロンドン?ナショナル?ギャラリ?
で、王は袖口に刺?の入った金ボタンの衣服を身に着け、首に
金羊毛騎士?
の?章を下げるなど、王の地位を示す象?物とともに描かれている。しかし、本作には王の地位や?力を象?するものが一切なく
[5]
、王は哀愁に?ち、憔悴した眼差しでこちらを見つめている。1人の人間の失意と幻滅の?飾なき姿が描かれているばかりである
[5]
。ベラスケスは、あたかも
修道士
のごとき王の晩年の人間性だけを浮き彫りにしているのである
。
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b
c
d
e
プラド美術館展 スペインの誇り 巨匠たちの殿堂 2006年、98頁
- ^
カンヴァス世界の大?家 15 ベラスケス、1983年、91頁。
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“
Philip IV
”.
プラド美術館
公式サイト (英語).
2024年2月10日
??。
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a
b
c
d
e
大高保二??川?祐介 2018年、21頁。