Home > ?合 > オスカ??ワイルド(Oscar Wilde)③
“The Picture of Dorian Gray” を?んでいて、?づくのはJapanese という?語が幾度となく出てくるのだ。物語の筋に絡むわけでもなく、日本あるいは日本人がどうのこうのというわけではない。扇子であったり、和紙であったり、机であったりするだけのことなのだが???。 ひょっとしたら、ワイルドは日本文化に殊の外、?心があったのではないかなどと思っていた。そうしたら、この疑問点に「答えて」くれるワイルドの?記に出合った。いや、正確には作家の妻、コンスタンス夫人の人生をたどった?記だ。 “Constance The Tragic and Scandalous Life of Mrs Oscar Wilde” という書名で、2011年に刊行されたばかり。 この?記本で夫婦ともども日本の文化に大いなる?心を抱いていたことを知った。殊に興味深く?んだのは、コンスタンス夫人が友人の詩人、W.B.イェイツから聞いた日本の動物?にまつわる?承が “Dorian Gray” の「下敷き」になっているのではという指摘だ。詩人が語ったのは、お寺の壁に描かれた馬が夜中に?から飛び出し、田んぼを?け回り、夜明けまえに壁に?るのだが、早朝に寺を訪れた人が頭上からしずくが垂れてくるので、不思議に思って見上げると、しずくは壁に描かれた馬の?から落ちてきていた、というお話。このお話を夫人から聞いたワイルドが、肖像?が「命」を宿し、描かれた本人に代わり年を取っていくという構想を得たのではと、?記の著者、フラニ??モイル氏は述べている。私はネズミが?から?け出す左甚五?の落語を思い出した。 ?記本はワイルドとコンスタンス夫人がお互いに一目惚れで?に落ち、新婚しばらくの間は蜜月だったが、結婚2年後の1886年に夫人が二人目の子供(男子)を生んだころから隔たりが生じるようになっていく、つまり、ワイルドが男色に走って行く?緯を詳述している。劇作家としては “An Ideal Husband” (邦?『理想の夫』)など人?作を相次いで?表し、ロンドンではまさに「時の人」となるのだが。 ワイルドが「?落」していく大きな要因となるのは、16?年下のアルフレッド?ダグラス卿との出?いだ。二人の深い仲はダグラス卿の父親、クィンズベリ?侯爵の知るところとなり、激怒した侯爵との間で告訴合?となる。ワイルドにとってはどう見ても「勝ち目」のない無謀な告訴であり、1895年、彼は敗訴後に、卑猥な行?を繰り返していたとして逮捕、投獄される。1897年に?放され、フランスに逃げ出す。 コンスタンス夫人は夫の逮捕後、子供二人を連れて、?州各?を??として、ワイルドからホランドへと名字を?え、親類や友人たちの援助で生きていく。?放後のワイルドは子供たちと?うことを切望したが、子供たちとも夫人とも再?することなく、1900年に失意のうちにフランスで他界している。(夫人はその前の1898年にイタリアで病死) (??は上から、ダブリン市?の公園に設置されているワイルドの像。人?の?光スポットとなっているようだった。1997年10月、ワイルドにとっては孫にあたる作家、マ?リン?ホランド氏により除幕されたと刻まれている。下は、ゴ?ルウェイの中心街でも見かけたワイルド像=左)
by 那須省一
1954年宮崎?西都市生まれ。宮崎大??育?部英語科卒業。??新聞社?際部、英字新聞部勤務を?て、編集委員を最後に早期退社後、アフリカ、アメリカ、英?及びアイルランドといったかつて特派員として勤務した地などを再訪。それぞれの旅の成果は『ブラックアフリカをさるく』『アメリカ文?紀行』『イギリス文?紀行』として?表。他にはマ?ク?トウェインの中編小? “Pudd’nhead Wilson”の??『二人の運命は二度?わる』や“Constance : The Tragic and Scandalous Life of Mrs Oscar Wilde”の??本『オスカ??ワイルドの妻コンスタンス 愛と哀しみの生涯』も(いずれも書肆侃侃房?行)。現在は福岡市在住、大?で非常勤講師(英語)。 アフリカ、アメリカに?き、海外取材の旅第3?として、今年5月中旬からは英?とアイルランドを?く旅に。アメリカの旅同?、英?、アイルランドの文?の香りを求めた旅だ。
Page Top