京畿道抱川市(キョンギド?ポチョンシ)の白雲山(ペクウンサン)にある興龍寺跡から出土した後、?立中央博物館が保管している?像2基の手部分が消えたことが分かった。博物館は、「(移管後に)手が消えたのは事?」とし、?緯の把握に?り出した。
14日、大韓??曹?宗興龍寺の住職であるドアム僧侶は、「1924年に興龍寺跡から出土し、?立中央博物館が所?している??2基の手が消えた」とし、博物館側に?明を求めた。?像は統一新羅末期の僧侶である道詵(ドソン)?師が興龍寺の前身である?院寺を創建する際に制作したと推定される?迦牟尼?と地?菩薩像だ。出土後、1925年に朝鮮?督府博物館に移管され、45年12月に?立中央博物館ができた後もずっと?の所有として管理されてきた。
出土?時の??を見ると、?像の手が存在している。また、?時の朝鮮?督府が作成した「興隆寺?見??と輸送」文書にも、「?迦牟尼?の手は右手の指4本が破損している」、「地?菩薩像は右手の親指が破損している」と書かれている。しかし、興龍寺側が先月撮影した??の??は、すべて手首の下の部分が消えていた。興龍寺は、「文化財の原?回復運動」を推進している。ドアム僧侶は、「管理不注意で紛失したのか、博物館側に?明を求める公文を今月初めに送ったが、回答がない」とし、「?像は興龍寺の?史を物語る重要文化財なのに、非常に?念だ」と話した。
?立中央博物館は、手の部分が完全に?っている1930年の景福宮勤政殿の展示??以降、?連記?がなく、?緯の把握に困難を?している。博物館?係者は、「日本植民地支配期や韓???中に??の手がなくなったと推定される。正確な?緯の把握は難しい?況だ」と話した。
サ?ジウォン記者 4g1@donga.com